第一次世界大戦中の1917年、羊番をしていた3人の子供、ルシア、フランシスコ、ジャシンタの前に聖母マリアが出現するという奇跡が起こったとされる場所が、リスボンの北東にあるファティマです。
聖母マリアの礼拝堂を建てるようにとのお告げに従い、広大な広場の向こうに、高さ65mの塔を持つネオクラシック様式のバジリカがそびえ立っています。5月13日の聖母出現祭には、世界中からの信者でこの広場が埋め尽くされるそうです。バジリカに向かって左手に、出現の礼拝堂という聖母マリアのまつられている小さなチャペルがあります。そのそばには、大きなろうそくを捧げ、人々の祈る姿があります。
 バターリャ(ポルトガル語でBatalha)は、レイリア県にある地方自治体。中心市街地には、7,500人ほど、そのほかの行政区を含めて、15,000人が居住している。北と西をレイリア県の県都であるレイリアと接し、南東部では、サンタレン県のアルカネナ、南西部は、ポルト・ド・モスと接する。バターリャの歴史は、ジョアン1世が1385年8月14日にアルジュバロータの戦いでカスティーリャ王国軍を破ったことを祝して建設したバターリャ修道院とともに始まった。バターリャとは、ポルトガル語で「戦い」を意味する。このバターリャ修道院は、ユネスコの世界遺産に登録されている。
 ナザレは、絵のように美しい海辺の村として町を売り込み、人気の観光地となった。大西洋に面し、長い砂浜を持ち、夏期には観光客で混雑する(ポルトガルでも良質の砂浜とされる)。
町は3つの要素からなる。ア・プライアは海岸部、オ・シーティオは丘陵の頂上の旧市街、ペデルネイラはその他丘陵頂上部である。ア・プライアとオ・シーティオとはケーブルカーで行き来ができる。
海岸から標高110m地点の岩の上にあるシーティオに、最初の定住地ができた。住民は、バルバリア海賊、フランス、イギリス、オランダ各国の海賊たちからの略奪を避けるため安全な基地を作ったのである。こういった襲撃は、19世紀初頭まであった。ノッサ・セニョーラ・ダ・ナザレ教会は、12世紀に騎士の命を聖母が救ったという伝説上の奇跡的とりなしを記念し建てられた。
 1143年、ポルトガルの分離独立を果たした国王アフォンソ1世は、王国の地位を高めるために、シトー会を保護、その大修道院をアルコバサに建立しました。自給自足を行い、灌漑や農業の技術に長けたシトー会に土地を委譲し、周辺の荒地の開拓をも暗黙のうちに委任したのです。建設には約70年もかけ、1222年、サンタ・マリア修道院の主要部分は完成しました。聖堂の身廊部分は幅23m、高さ20m、奥行き106mで、初期ゴシック様式としてはポルトガル最大の聖堂になりました。禁欲主義の規約どうり、簡潔に仕上げられましたが、唯一、華麗な装飾が施されたペドロ1世とその妻の石棺は、ポルトガルのゴシック芸術の至宝と言われています。水力利用に長けたシトー会だけあって、川の水を引き込んだ厨房や水洗便所も設備されています。近世には、中世の修道院に18世紀の台所を追加し、機能性を高めたことも貴重とされています。







背景原画(ユーラシア大陸最西端の地)